ノルウェイの森
2010年/監督・脚本トラン・アン・ユン
ノルウェイの森 は村上春樹原作の同名小説をトラン・アン・ユン監督で映画化した作品。
1970年代の学生運動が盛んな時代の大学生である主人公・ワタナベは、高校時代に親友・キズキを亡くしてから心に漠然とした不安と空虚さを抱えながら生きている。
複数の女の子と夜を共にしても埋められない心。
しかし、キズキの恋人であった直子と再会し、同じ空虚さを抱えた者同士次第に惹かれあう。
80年代を代表する大ヒット青春小説が20年以上経ってからの映画化ということで、上映前から話題になっていたのを覚えているわ。
物語の舞台である70年代の風俗がキッチュにデフォルメされていて懐かしいながらも若者の目には新鮮で視覚的にかなり成功しているわね。
水原希子ちゃんの出世作なだけあって、お人形さんみたいな容姿に芯の強い演技がとっても魅力的。70年代のカラフルなファッションも似合っていて真似したくなる!
水原希子扮するミドリは「愛」についてこう語るわ。
「私がケーキが食べたいなあと言ったらあなたは走ってケーキを買ってきてくれるの。それで、息を切らして私にケーキを差し出すんだけど、私はもうケーキなんていらない!と言ったらあなたはじゃあ何が食べたい?何でも買ってくるよ。っていうのよ。」
それが愛!だそうです!
とんでもない愛観だけど、水原希子さんにこう言われたら確かにケーキを買いに行きたくなるかもしれない…。
そんな緑とは対照的な、直子役・菊地凛子さんの闇を抱えた演技も見もの。
呼吸の仕方ひとつをとっても、病んでいる女性と接したことのある人なら絶対にそわそわしちゃう名演技。
他に特筆すべき点はカメラワークと劇中の音楽。
鳥の視点のように動き続けるカメラワークは絶妙な速度で心地良い。
そこに乗る当時の良質な音楽の数々もしっかりと聴けるのが魅力。2回目以降の流し見も楽しめたわ。
でもオシャレ映画だと思ってると火傷するわよ。
じゃあどんな映画か、と聞かれたら私には今だによくわからない。
まず不思議なのは主人公・ワタナベに主体性が全くないこと。
学生運動は「くだらない」と一蹴し、音楽は好きだけど奏でるでもなく、女の子に呼ばれればどこへでも行く。
物語における主人公の主体性のなさは感情移入をしやすくするためであることが多いけど、ワタナベは観客の感情をすり抜けていくよう。
結局追い詰められる形で選択を迫られたワタナベは、2度目の喪失を知る。
2度の喪失はワタナベの選択とは関係のない純粋な喪失であることがもしかしたらこの映画の核なのかもしれないわ。
「大人になるよ」と言ったワタナベ。
まだそれを悲しみと、永遠に子供のままの親友と恋人の存在が妨げている。
大人とはなんなのか。
ワタナベのように心に大きな喪失があるままでは大人になれないのであれば、忘却に成功した者だけが大人なわけだけど、小説版の冒頭は37歳になったワタナベは心の痛みを思い出すところから始まるわ。
先に逝った人たちへの感傷を抱えてどう生きるのか。
それがその答えなのかもしれない。
インセプション
インセプション は2010年に公開されたクリストファー・ノーラン監督の映画よ。
主人公・コブは未来の機械と特殊な技術を使って「夢」に入り込み、情報を盗み出す企業スパイ。
彼はある日サイトウから、夢の植え付け(インセプション)を極秘で依頼される。インセプションは重罪とされており、バレたらただではすまない超危険な案件に一度は断るコブ。しかし、彼は死んだ妻・モルの殺害容疑をかけられており、仕事を成功させれば容疑を抹消することを条件に出され引き受けるところから、夢の中の冒険が始まるわ。
一番の見どころは、夢の中の描写。
夢という不確かなものを極限まで具象化・構造化し、あくまでもSF的に「未知の世界」として描いているのがとても興味深い!
2番目は、映画の製作が決まって一番にキャスティングされたという、レオナルド・ディカプリオ様の顔!
マグリットの絵のような顔立ちが、夢の中のシュルレアリスティックな世界と引き立てあって、どこをとっても格好良い。
タイタニックぶりにレオ様と呼びたくなったわ!
逆さになったり、歪んでいく空間を走ったり、どうやって撮影されたのか全然わからないアクションシーンもすごい。マトリックスよりも1シーンとしてさらりと描かれるからすごさを忘れそうになるけどすごい。
夢の中だけあって、めまぐるしく場面が移り変わるのだけれど、すべてが凝っているからずっとわくわくしていられる。あと2回は観たい映画ね。
ただ、ノーラン監督の映画だから覚悟はしていたけど、情報量の多さと展開の速さに加え、時系列をバラした構成で瞬きをする暇もないくらい。見終わった後はドライアイと疲労感がものすごい。
映画を観終わった後も、夢の中の設定を自分なりにまとめながら時系列を並べなおしてようやく全貌が理解できるから努力が必要よ!
最後に私なりの感想だけど、
この映画を観て、いつか夢というものが科学的に解明されて、それをある程度自由に操れるようになったとしたら、夢の文学的なロマンは失われるということが分かったわ。
私たちが見る夢を出来る限り印象のままに描いた代表例・つげ義春の「ねじ式」のように、そこはかとなく漂う郷愁は、夢が勝手に見るものだからこそ。
インセプションのコブとモルのように、自由に操れる夢の中に居たいと私なら思うかしら。
最初は楽しいかもしれないけれど、すぐに疲れて、見ては忘れてしまうくらいがちょうどいいと思うんじゃないかな。